よく通る道の傍に像があるけど、それが「孝女お米」の像である
ことを最近知りました。見たことはあったけど、そもそも
コレが一体何なのか知らなかった、ということ。
なんでも、父親の孝養に努め、その地徳山藩の藩主から絶賛された孝行者の姿を象った像なんだそうです。

たとえそれが本物を見て作ったものでなくても、そこに在ればそれが真実なのだろうか。
しかし、その像が在ることと、彼らの存在が真実であったとして、この像で顕された彼らの真の形貌見たことがある人は居るのだろうか?そして、その当事者が彫ったものであろうのだろうか?そんな邪なことを思ったのです。
でも、それに「孝女阿米」と書いてあれば、皆特に何も思わず、「ああ、そうなんだね」って思える何かがあるんでしょうね。
それは像から伝わってくるイメージが的確だから?
見る我々が真実を捉えられずに惑わされ易いだけだから?
人が生半可な知的好奇心で探し求める真実というものは、
大抵は「製作者」により象られたイメージであって、
実際に見聞きしたものをベースに作られた純粋な真実に
近いものではないことが在るのかもしれませんね。