200920 立ち上がる怪気炎

不可逆的な不条理、条理を見出す・・・というかなんとかして織り込むための方法とは何なのか?

それはずばり、”カミさんがキャンプ地の選定でザキに話を振ってきたときに、自分の願望を密かに織り込んだ提案をもっともらしく提案しておいて、採用されたらその時は、カミさんのお休み後の時間を自分の時間として、たっぷり堪能せしめる”という手法である。

要するに、
キャンプ地でカミさんが悩む
→カメラとは無縁の理屈で、自分の望みが叶うキャンプ場を提案
 →当のキャンプ場でカミさんらが寝静まる
  →星空写真を撮りに出かける (゚∀゚)フィーヴァーターイム!
ということ。

やっぱ山の頂上付近のキャンプ場サイコー。
天気も”たまたま”良かったからマジサイコー。
ほら、お空も怪気炎ダダ上がりよ。
星空AFでピンもすぐ来るからもうアゲアゲ。

撮るぜぇ~っ!撮るぜ撮るぜェッ!

この後車で移動中に、クマと思しき生物の後姿を目撃してしまい、ビビったザキはすごすごキャンプ場に戻りましたとさ、おしマイケル。

200919 Let It Be

この四連休、皆さま如何お過ごしだっただろうか?
コロナなんじゃいでごたつく今日この頃から言えば、
ザキとしては
ガンプラ、写真編集、お料理の三漏三昧を夢見ていた。

三漏=心から漏れ出る煩悩のうちのキッツイ三つことをさすが、ザキの場合はガンプラ、写真、お料理の三つを指す。

しかし、現実は違う。
「2泊3日でキャンプへ行くでぇ~!」
とカミさんが宣えば、ザキは黙って従うしかない。
 ・ カミさんはテントとタープが立てられない
 ・ カミさんは目的がなくてもキャンプに行く
 ・ カミさんは端的に言えば一人キャンプは無理
故に、この場合はザキはその気がなくても、カミさんのために黙ってついて行って作業をするしかないのである。

たいそうな意味はありません。”思し召しのなすがまま”

ザキが行きたくても行きたくなくても、行くに値する理由があってもなくても、崇高なカミさんの御意思があればもう行くしかないのである。まさにレットイットビー、思し召しのなすが儘にである。

じゃー、ザキはカミさんが行かなくても行くのか?といえば、
・ これまでの経験でテント・タープは一人で
  立てられるようになってしまった
・ キャンプしにキャンプに行くことはないが、明確な
  目的や理由があればキャンプをするのは厭わない
・ 一人でキャンプに行けって言われたとしても、立派な理由が
  成立すれば行ける
ので、カミさんがいる必然性はない。

だが、残念ながらザキには目的や理由がないし、キャンプを立てるような大仰なキャンプはできる限りせず車中泊にとどめたい。世界のキャンプ好きを敵に回したとしても、キャンプだけが目的のキャンプは、労力と時間の無駄としか思っていない。
キャンプのためのキャンプ好きの好きは尊重はするが、無理に人にやらせちゃだめよ、ザキは厭ヨ~厭々!なんもである。

しかし、カミさんは全くの逆。
キャンプのためにキャンプをし、それにザキを巻き込んでくるのです。それは望まずとも来る台風のごとし。

そして不可逆的なこの関係。

カミさんが望めばザキは行かざるを得ない。
ザキが望めどもカミさんは行かなくていい。
でもザキは特に望むわけでもない。

なんたる不条理!

しかし、不条理の中に己の心を満たす条理をなんとか探し出してなんとかするしかないのである。

そう、何とかするしかないのだ。

200918ALT 非日常になった日常の世界

何を言っているのかわかりませんか?

つい1年前までは毎日顔を合わせていた光景が、今ではそうではない。その光景がつい最近バッサリなくなってしまったわけでもないのに、それはなぜか?

それはその場所が今や日常的に通らない場所になってしまったから。いつも顔を突き合わせていた貴方とは、今やほとんど顔を合わせない。いま私はそこを通らないのだから。

たまに通ると、もはやそこは「非日常」になった、”過去の日常の風景”となってしまったのだ。

200917ALT あげませんよ?

子供はかき氷が好き。
あんな氷にカラフルで甘い汁掛けたものの何がいいのか?

でもこいつはかき氷が苦手になりました。

でも、汁吸いすぎて甘さがなくなったら、もはやかき氷を食べる楽しみは苦痛な作業でしかなくなる。

そしてこいつ↑はかき氷が苦手になった。

ザキは宇治金時・みぞれ金時以外認めない。妥協してブルーハワイ。

200915ALT SO-MEN

去年の今頃何をしていたかシリーズ。

今じゃ到底考えられない密な世界です

”大しておいしくもない伸びたそうめんをおいしく食べていた”

麺がビロビロぶよぶよで明らかに茹ですぎ感があったとしても。
到底考えられないコスパの悪さゆえにぼったくりだと思っていても。
それを”おいしく”いただいていた。その心は?

そうめんはエンタメと清涼感を足せば、料理としての美味さはさほど重要ではない季節の食べ物である、ということ。

柔麺(そうめんを温かい出汁につけて頂くアレ)の完成度を高めて美味しくしたとしても、家庭のグラス鉢に氷水を用意して高級な素麺をほどいて冷たくいただいたとしても、このエンタメと清涼感を足すという地獄のチートには簡単には勝てないのである。

美食家には承服しかねる美食?はここにあると思います。
人間、雰囲気や季節感や楽しさって大事です。

200914 官能すべし滅びの美学

だったら終焉も堪能したら?と思うのです。

”何故それを持つのか?”

その哲学に基づけば、自分の買い物なんて筋書き通りのそれであり、そのプロセスの悩みなど贅沢な作業に過ぎない、と、ザキは思うのです。

要するに、モノが欲しいと思うには、必ず論理的あるいは情緒的な条件設定が発生し、それに基づき買い物をするのだから、「どれにしようかな~」なんて悩んでいるプロセスなぞ「無意味な作業」であり、なおかつ買い物が楽しいと思う人はその無意味な作業と思えるもので快感を得ている、と思う。

ザキのカメラ選びなんて、
 ・ レンズは必要に応じて替えたい
 ・ ここぞって時にミラーのバタバタが大嫌い
 ・ 起動性能第一でセンサーの大きさは程々でいい
 ・ 重さは気にしないが大きさは気にする
 ・ パナソニックが嫌いでソニーが好き
 ・ 撮りたいものはある程度全部撮りたい
という御大層な論理に基づくものである。
なので、MFTオリンパスかソニーαに落ち着くわけである。

然るに。

カミさんがワイに対して「カメラ更新していいよ♡」などと甘言をのたもうても特に必要性は感じていないので「今は、いいや」としか答えない。

ミラーのあのバタバタ感がないととか手触りやホールド感が大事とか塊魂とかペンタにこだわりがとか所有する官能とか、日常のメディアで目にすると「カメラを持つためにカメラを買うのか?」と自分に問うてしまう。人がそう思えば、気にしぃのザキは悩むのだ。

でも結局、絵筆の代わりにカメラを持つ自分には、撮りたいもののためにカメラを買うのであって。

残念ながらオリンパスがカメラを手放してしまったけど、オリンパスのために買っていたわけでもなく、オリンパスのカメラがたまたま条件に合致しただけであったので、残念な気はするけど、悲観してシステム全部手放したり、急遽マウント替えなどを検討したりする理由はないのである。

まぁ、それでも終わってしまうのであれば、カメラが壊れて使えなくなるその瞬間すら楽しんでしまってもいいのではないだろうか?

だらだら言ったけど要するに、オリンパスのカメラを使うのは合理的な理由であり手元のシステムがほぼ完成しているから、オリンパスがカメラ事業を手放しても、ザキは悲観したりじたばたせずに、手持ちのマシンが壊れるまで楽しんで使いますよっと、そういう話。

200913ALT 街角ShowLight

よーく考えたら、最近街灯があんまり緑に色づいて写らない
そんな奴らが増えてるんですよね。

ナトリウムランプと水銀灯、いつしか絶滅しそうなショウライトですよね。

そのうちナトリウムランプのオレンジや
水銀灯のグリーンも滅びてしまうんですかね。
東ソーや出光のプラント照明はLEDですよ兄貴。

ト☆〇マはボンビーなので健在ですが何か?
だがそれが美しい・・・と思うよ?

200911ALT みんな変わってしまった

それは誰もが欲しがるあこがれの証。
あのバッヂに、石英の塊に。五画錐に。
白と黒で彩られた塊に憧れたあの日々。

富の証に憧れた日々を過ごしたものは、
筒の色、鏡の上下する音、その塊の肌触りに
意味を見出しその素晴らしさを語らった。

半世紀の時が流れたその証は元はと言えば
光の織り成す姿をありのままに汲み取る
それが生まれたときに与えられた使命。

かつてその使命を課せられた薄葉に代わり
電気仕掛けの金板を代わりに据えられた。

それでも、あの時憧れや官能が本質だった日々が
これからもずっと続くとみんな思っていた。

一度失った憧れの日々は、なかなか戻ってこない。

富と憧れの証に情熱を注ぐ者たちのための、
そのすべてであり最高の玩具だったそれは
いつの間にか簡単に誰しもの手に渡った。

その中で証に求められた使命は何時しか、
心の赴くまま感じた姿を現し、その美しさを
皆と分かち示すことを楽しむ絵筆になってしまった。

かつて与えられた、真の姿を写すことではなく
いつの間にか求められた官能というわけでもなく

それにすがる者たちは、
この時が神々の最後の戦いといわんばかりに、
その証の本来の使命が、憧れた日々に求めたものが、
永遠に皆の憧れであることを、続くことを叫び求めた。

叫び抗えども、その声は誰に届くだろうか?
その絶叫の果てに倒れたものの屍を
生き残されたものが糧として喰らう。

生き残った者の前に、再び陽は昇るのだろうか?
永遠に続くと信じていたその間に、
いつの間にか、みんな変わってしまった。